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巻頭挨拶

和文誌フォーラムより

野外調査のTips

連載




巻頭挨拶


会長就任のご挨拶

日本鳥学会長 中村浩志


chairman
中村浩志 新会長
 この1月より樋口広芳前会長から日本鳥学会会長を引き継ぐことになりました。会長就任にあたり、一言ご挨拶させていただきます。私が信州大学の学生であった40年ほど前には、日本鳥学会の会員は400名ほどで、大会の参加者も30名ほどでした。それが現在では、会員が1,200名を越え、大会参加者も450人を超えるほどになり、学会誌も英文誌と和文誌合わせて年4冊発行するまでになりました。当時と比べると、まさに隔世の感があります。日本鳥学会を取巻く環境は、ここ数年でさらに大きく変化しました。鳥インフルエンザの問題をはじめ、オオタカやクマタカなどの猛禽類保護問題など、鳥への社会的な関心と期待が急速に高まって来ています。そのことは、最近の大会で若い人の参加が目立って多くなり、また環境アセスメントやコンサルタント関係の方なども多く参加され、口頭発表やポスター発表をされるようになり、自由集会の数も目立って多くなるなど、大会が年々活発になってきていることが、端的に示しているように思います。鳥の研究者や鳥に特別に関心を持った人たちだけが集まった10年、20年前の大会とはすっかり様変わりし、幅の広がりを見せて来ているように感じます。そのため、日本鳥学会は今まで以上にいろいろな方の参加のもとに情報交換の場を広げ、大会や学会誌等で研究成果を発表する機会を増やすなどの活動を活発に行なって行くことが求められており、またそれによって学会自体がさらに充実し発展する可能性が高まって来ているように思います。

 昨年11月に学会のホームページの中に「鳥学通信」が創刊され、その第4号が今回ここに発刊されました。以前には、「鳥学ニュース」が会員間の情報交換の場になっていたのですが、学会誌の充実のために5年前にやむなく廃刊となりました。今回の「鳥学通信」は、その「鳥学ニュース」に代わって会員間の情報交換とコミュニケーションの場をさらに広めてゆく大きな可能性を持っていると感じています。また、学会のホームページを担当してきたホームページ委員会は、昨年秋から広報委員会と改め、活動内容も刷新され、学会の広報活動に積極的に取り組んで行くことになりました。会員の皆様がいっそう学会の活動に関心を持っていただき、ホームページや「鳥学通信」に情報や意見を寄せていただくと共に、研究成果を学会誌等に積極的に投稿いただくようお願いいたします。また、学会の評議委員会や各種委員会の活動は、メーリングリストの導入によりたえず情報や意見交換が可能となりました。この電子情報を一層活用することで、学会がさまざまな課題により迅速に対応する常時活動する組織としてより充実させてゆきたいと考えております。

 3年ほど前から多くの方とハチクマの衛星追跡調査に関っています。その調査を通し、東南アジアの国々を歴訪するハチクマの渡りの実態を知り、アジアは鳥の渡りで一つに結ばれていることを改めて実感しました。また、数年前には韓国鳥学会大会に参加し、昨年はフランスで開かれた国際ライチョウ学会に参加し、韓国や中国の研究者も日本との研究交流を強く望んでいることを知りました。今後、これらアジアの国の学会や鳥関係の組織との研究交流や協力関係をいっそう深めることは、これからの日本鳥学会の発展に大きく寄与すると考えています。将来的には、国際化を進める中で日本の若い鳥の研究者の育成に力を入れ、アジアの鳥学会や国際鳥学会といった国際的な学会を日本で開催できるまでに学会のレベルアップを進めたいものと考えています。一人一人の力は僅かでも、多くの方が同じ目標を持って協力しあうことで、鳥類の学術研究や保護がより一層進展することを願っています。会員の皆様一人一人のいっそうのご活躍を期待いたします。



受付日2006.1.20

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フォーラムより


日本鳥学会2005年度大会雑感

上沖正欣(立教大・理・生命理学 二年)


鳥学会が行われた信州大学にて。発表会場を早めに抜け出して学食できし麺を食べていたら、ヒゲを生やした、だんでぃーなオジサン(魚ではない)に捕まってしまいました。そして日本鳥学会誌のフォーラムに、学会に対する「歯に衣着せぬ」意見を投稿して欲しいと頼まれたのです。そんな、僕の歯は厚着なのに・・・とか思いつつ、きし麺を食べつつ、引き受けたのでした。

高校2年の2002年秋、僕は初めて鳥学会に参加しました。丁度その年から鳥学会に高校生のポスター発表枠が設けられたため、知り合いの方がいい機会だから発表してみないか、と勧めてくださったのです。当時、僕はバードウォッチング部という怪しげな部活に所属していたので、ポスター発表では部活動で行った生息調査を基にその調査結果を発表しました。発表内容は拙いものでしたが、研究者の方から数多くの意見やアドバイスをいただき、とても貴重な経験になりました。そしてこの時、バードウォッチング部にも公欠というものが存在することも判明しました。

大学に入ってからも、まだ研究室に所属していないにもかかわらず、ちゃっかり院生について鳥学会に潜り込みました。自らが発表をすることは無かったのですが、その分高校生発表した時よりも、学会というものを少しだけ客観的に見ることができました。他学会にはあまり出席したことがありませんが、鳥学会はとってもいい学会だと思います。学会に参加する以前は、学会というものは高尚で敷居の高いものであるといった、ありがちなイメージを抱いていました。そして僕は、自分がそんなところに参加するのだと意気込んでいたのですが、そうした思いはいい意味で裏切られました。つまり、実際はとてもリラックスしたムードで、若手ベテラン関係無く質疑応答もとても活発。高校生の拙い発表にも、有名な教授方が熱心に聴いてくださるのです。

2005年度の信州大学で開催された鳥学会は、内容はもちろん、開催地もこの上なく素晴らしくて、観光も存分に楽しむことができました(まさか学会よりも熱心に観光に勤しんだりなんてことはない・・・こともない)。参加はできませんでしたが、エクスカーションといった今までにはない試みもあり、今後の学会の見本になりそうな内容でした。もう、いいことだらけなのですが、「歯に衣着せぬ意見を」と言われたので、ない所から捻り出した意見を少し述べます。

まず、一番残念なのは、せっかく高校生のポスター発表枠があるにもかかわらず、毎年参加しているのは1〜2校だけという現状です。僕はポスター発表する時、少なくとも6〜7校ほどは参加するだろう、いろいろな情報交換がしたい、同年代の人と鳥の話がしたいと期待していたのに、いざフタを開けてみればたったの2校でした。他校の人ともろくに話すこともできず終わってしまい、非常に残念な思いをしました。実際、研究者や学会関係者とコネクションがないと、なかなか高校生では参加が難しいということはあります(多くの高校はテスト期間中だし、遠方だと費用の問題もあります)。せめて興味のある地元の学生(高校生に限らず)を招いたりして、学会の面白さを知ってもらうことはできないでしょうか。また、僕が発表した時には、高校生のポスター発表に対して奨励賞をいただきましたが、後々それは大きな自信になりました。発表に参加した高校生にそうした計らいをしたり、マスコミに宣伝したりするのもいい刺激になります。とにかく、若い世代に興味を持って欲しいと思います。

次に、口頭発表について感じたことです。現在発表に使用されているのはOHPですが、印刷した文字が小さすぎて内容が読めなかったり、発表者も、シートが滑ったりして発表しづらそうでした。設備があるところではパワーポイント等の使用を考えてはどうでしょうか。動きがあったほうが解りやすい内容もあるだろうし、よりスムーズに発表できると思います。また、口頭発表ではどうしても質疑応答の時間が短くなってしまうことがあります。発表時間が長引いた時などは、まったく質問ができないような状況もありました。発表者にとっては、せっかくの貴重な意見を聞く場だし、質問する側も疑問を残したまま終わるのは後味が悪いものです。発表が終了してから個別に聞くことができればいいのですが、面識のない人だと容易ではありません。全ての発表が終了した後に少し時間をとって、総まとめの質疑応答時間をとってはどうでしょうか(途中で会場移動する人がほとんどですが)。

余談ですが、今年の鳥学会で初めて懇親会に出席して、料理の豪華さに驚きました。以前は貧相(!)だったようで、改善されたとのことでしたが、資源は残すくらいなら少ないほうがいいと思いました(でも、ダチョウは旨かったのでこれからも期待してます)。

以上、学会の一参加者として少しでも役に立てればと思い、提案しました。貴重なこの場を与えてくださった濱尾氏と、転載していただいた鳥学通信編集者の方々にお礼申し上げます。今後、鳥学会が益々活発になることを願っています。



日本鳥学会誌54巻2号より転載(執筆者により一部改変)

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日本鳥学会2005年度大会「正直な感想」

水田 拓(東邦大・理)


日本鳥学会2005 年度大会について,和文誌編集委員の濱尾さんがレポートを書くようすすめてくださった.執筆の依頼文のなかで,濱尾さんは「今大会についての正直な感想,歯に衣着せぬ意見を集め,大会のあり方について皆で考えていければ」と希望を書かれていた.つまり「こんな発表が面白かった」等の感想だけでなく,今後の大会開催で参考になるような意見(批判的なものも含む)を書くことが期待されているということだろう.これは難しい上に責任重大だ.下手なことは書けないと思いつつ,でも個人的に感じたところを書いてみる.

・興味深かった発表
 とはいえ,まずは面白かった発表の感想を少しだけ.個々のタイトルは挙げないが,生理学に関連した内容の発表で興味深いものが多かった.行動学や生態学を常に視野に入れながら生理学的な手法を用いて仮説の検証にあたるような研究は,聞いていて非常に面白いと思う.また,口頭,ポスター,自由集会のいずれにおいても,若手の研究者の発表に面白いものが多く,私もうかうかしていられないという思いをあらたにした.

・口頭,ポスター発表
 興味深い発表が多かった反面,聞いているのがつらくなる生データの羅列のような口頭発表も少なくなかった.このような発表は情報量が多く,字が小さく,議論が不十分で,内容のつかみにくいものが多い.これは研究自体の良し悪しではなく,発表の仕方の問題だろう.示したい生データが多い,議論が固まっていない,といった研究は,ポスター発表にした方がいいのではないか.一般に,口頭発表の方がポスター発表より格が上(?),というようなイメージがあるのかもしれないが,私はそんなことはないと思う.ケーススタディのような生データを示すことが重要な場合や,より深い議論を求める場合は,口頭よりもポスターの方が発表の形式として有効である.発表者は自分の発表内容をよく吟味した上で発表の形式を選択すべきだろう.

 なお口頭発表の座長は,今回も若手の研究者が交代で務めるという形式だった.私も(若手と言えるかどうかはそろそろ異論のあるところかもしれないが)その一人だった.発表を滞りなく進行させるため(と若手の研究者に対する教育的配慮のため?)の措置かと思うが,発表者が次の発表の座長を務める形式とどちらが適切だろうか.今回は,座長を務める会場の発表がその人の興味に合うよう配慮されていたし,依頼も前もってなされていたので,座長を務めたせいで聞きたい発表を聞き逃すといった問題は私に関してはなかったが,他の人はどうだろう.もし,聞きたい発表は別会場だけど座長依頼は断りにくい,というようなことがあれば,若手にだけその負担を強いるのは不公平になる.座長の形式をどうすべきか,私は現時点で明確な意見を持たないが,今後発表会場の数が増える場合は,慣習的に決めるのではなく議論が必要だろうと思う.

・自由集会
 10 題の自由集会が,3 つの時間枠(初日・2 日目・最終日)に,それぞれ2, 5, 3 題と振り分けら れていた.個人的には,2 日目と最終日に聞きたい自由集会が複数あり,苦渋の選択を迫られた (大袈裟).私も自由集会は開催したいと思うが,時間枠が少ないだけに自分の開催時間の裏に参加 したい自由集会があたる可能性が高い,ということを考えるとちょっとためらってしまう.演題が 決まった後に,大会運営者が自由集会の主催者に「時間をずらしてほしい自由集会」を聞き,調整し てもらえればたいへんありがたい.また今回のように大会が地方で行なわれる場合は,初日の午後 から開催地に来ている人が多いと考えられるので,初日の会場をもう少し増やしてもいいのではない か.いずれにせよ,自由集会の時間枠についても,今後開催件数が増えれば再考する必要が出てくる だろう.

・その他
 毎年のことだが,鳥学会大会では猛禽類の発表が非常に多い.特に今回は,シンポジウム,特別講演に加えて,サテライトミーティング,エクスカーションも猛禽類に関するものだった.ちょっと偏りすぎている感もなくはないが,これは今大会の特色だろう.環境保全の観点からすると,生態系の頂点に位置する猛禽類の研究が重要であることは明らかだ.しかし,願わくは「猛禽類でもこんな研究ができる」という発表だけでなく「猛禽類だからこそこんな学術的に面白い研究ができる」という発表がどんどん出てきてほしいと思う.以上述べたことはもちろん今大会の運営に対する批判ではない.今回の大会運営は盛りだくさんの内容がうまくまとめられており,参加する側としてはたいへんありがたかった.懇親会の食べ物も多くて素晴らしかった(大切なことだ).大会でなにを重視すべきかは,参加者の興味の方向性が異なる以上,調整が難しいだろう.今後も会員間で議論を深め,よりよい大会が開催されることを 期待したい.



日本鳥学会誌54巻2号より転載

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科学の進歩と断片化―松本大会の発表を見聞きして

江崎保男(兵庫県立大学/人と自然の博物館)


 20 年以上前に生理学者の研究会で,当時研究していたオオヨシキリの一夫多妻社会の話をしたことがある.そのときの意見でもっとも印象に残っているのは「テレビの自然ものの番組をみているようだ」というものだった.「あなたの研究は科学ではないですよ」と暗に指摘したものと即座に理解した.科学とは,再現可能で一般性をもつものであるとの「常識」にもとづいた発言であり,当時の生態学は科学ではないとみなされていたのである.ちなみに,私のオオヨシキリの研究は,生態学の国際誌に,この後掲載された.

 科学とはなんだろうか,科学の進歩(ここでは個体レベル以上の科学に限る)とはなんだろうか?と,久しぶりに考えさせられた大会であった.鳥学会の大会発表内容の多様化と,特にプレゼンテーションにおけるレベルアップは近年めざましいものがある.昔のように緊張のためにあがってしまう若者の姿はそこにはない.図は美しいし,内容も一見わかりやすい.それとほとんどの発表が多くの人の連名である(学際研究の増加?).そういう意味では,鳥学会はますます発展しているといってよいだろう.

 しかし一方で,「おもしろいな!」と感じる発表は昔に比べて相対的に減っているように感じた.きれいな結果をだしている発表であっても「あなた,その研究のどこが面白いんですか?」と質問したくなる衝動に駆られるのである(よっぽどのことがない限りしませんが).スーパーで売っている魚の「切り身」を無理やり食べさせられている気分に近いのである.「俺は魚屋で売っている尾頭付きが食いたいんだ!その切り身の頭と尻尾は,あるいはもっと旨いはずの内臓はどうなっているんだ?」「スーパーの店員さん!その切り身はもともと1 匹の有機的にむすびついた全身をもっていた魚という動物だったことを知っていますか?」

 こういったことを考えていると,医学とのアナロジーにすぐ行き当たる.私は,見ず知らずの医者には絶対に世話にならない.殺されるかもしれないからである.外科は外科,内科は内科,その中でも,心臓は心臓専門医,胃腸は胃腸の専門医.現代の医者の多く(特に中年以下)は,部分のことは知っていても,全身のことはわからない.そんな医者に大事な体をあずけるわけにはいかないのである.人の体は,臓器や筋肉・神経系などが有機的にむすびついた全体として存在しているのであり,部分だけを治療するという一般的に流布しているやり方は明らかに間違っている.

 さて,こういった学問の断片化は,科学の進歩の過程でどうやら必ず現れるものらしい.「より科学的にする」ために,各種の技術が開発され,技術がクローズアップされる時代が常にあるからである.したがって,大切なことは,以下のようになる.「一見断片化しているものが,実は統合された全体像に結びついている」.実は,今回の大会の発表の多くがそうであることを私は承知している.それは,多くの若者が発表している断片的な内容が,指導教官の中では統合されているからである.しかし,それでも不安は残る.指導教官はそれでいいだろうが,「切り身」を研究している学生のなかから,将来,全体を統合できる人材はどれだけ育つのだろうか?もし,その答えが否定的なものならば,私たちの科学も,医学と同じ道を歩む危険性をもっているのではないか?

 最後に,今回,面白かった分野を挙げておこう.それは,分類学とこれにもとづく生物地理学の分野である.長い間研究者不足に悩んできたこの分野で,形態にもとづいた複数の面白い研究発表をきくことができたことは,まるで美味い天然アユの塩焼きを口にした時のような幸せを私に与えてくれた.



日本鳥学会誌54巻2号より転載

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第29回IEC参加記

松原 始(京都大学大学院理学研究科)


IEC
IEC 2005横断幕
 2005 年8 月20 日 27 日にハンガリーの首都ブダペストにて開催されたIEC(国際動物行動学会)に参加する機会を得たので,学会の様子を紹介させて頂きたいと思う.

 ブダペストへは日本からの直行便は無く,ヨーロッパのどこかで乗り換える必要がある.筆者(と研究室の同僚一人)はウィーンから列車でブダペストに入る方法を選んだ.途中,鳥を探しながらの旅だったのだが,ウィーン着早々に空港上空を舞うチョウゲンボウを見ることができた.またウィーン西駅ではホームに群がるスズメがイエスズメであることに気付いて大喜びし(地元の人にはスズメに狂喜する不思議な東洋人と見えただろう),ブダペストへ向かう車窓からはミヤマガラスやシラコバトらしきものが見えた.圧巻は列車の上を悠々と飛び越えて行ったシュバシコウである.少し郊外に行けば民家の煙突で営巣しているという.

 
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ブダペスト市街と、増水のためあまり青くないドナウ川
ブダペスト市内では,筆者の滞在した宿の近くちょっとした広場があり,イエスズメとドバトが群れていた.一度だけニシコクマルガラスが姿を見せたこともあった.また何かツグミ科と思われる鳥がいたことがあり,知り合いからはクロウタドリらしい鳥を見たとも聞いた.ドナウ川は残念なことに大増水のため青くはなかったが,カモメ(ユリカモメとセグロカモメか?)が悠然と飛び交っていた.会場近くの建物にはイワツバメが営巣しており,会場付近ではズキンガラスやカササギが群れて採餌していた.カラス好きな筆者には見飽きない光景である(そのため初日から遅刻しかけた).また大きな樹木のある屋敷からはフクロウ類のような声が聞こえたような気がしたが,確認できなかった.なお,後日訪れた郊外の町ヴィシェグラードでは,シジュウカラ,アオガラ,コガラ,ヨーロッパゴジュウカラ,カケス,イソシギ,チゴハヤブサなども見ることができた.少し時間をとって,郊外の農耕地などを歩けばもっと楽しめただろうと思う.やはりせっかく海外まで出かけるでのあれば,鳥を見に行けるような日程にすべきであった.

village
ブダペストの繁華街、ヴァーツィ通りのカフェ
 口頭発表会場は4 室あり,大概は4 室平行で終日セッションが行われる.一方,ポスターセッションは1 日1時間だけで,午後のコーヒータイムと兼用にされているため,参加者の半分くらいはコーヒーを飲みに行っている.休憩場所とポスター会場は同じフロアにあって,コーヒーを手にポスターを見て回れるとは言え,ポスターの地位はやや低いと感じた.また各発表者に割り当てられたコアタイムは1 日しかない上,ポスター発表自体が日本のように前に立って説明するスタイルではない事が多く,質問しようにも発表者を一度も見なかったポスターも少なからずあった.

 この他,朝と午後一番に基調講演が行われた.鳥関係ではA. Zahavi が有名なチメドリの社会とハンディキャップ仮説について,P. D. Slaterが高齢を感じさせない溌溂とした名調子で鳥類の音声について,N. Clayton はユーモアたっぷりにカラス類の知能について,それぞれ50 分ほどの講演を行った.またR. Hudsonの講演ではノスリの色彩多型と遺伝的な環境選択の関係が,L. A. Giraldeauの講演では採餌戦略(PS Game; Producer-Scrounger Game)の例としてハトが挙げられ,様々な分野で鳥類が取り上げられていることを感じた.もっとも演者欠席のため次回IECの宣伝に差し換えというハプニングもあった.

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学会会場にて
 口頭発表では鳥類の托卵と鳥の歌のセッションがあり,これらはもちろん鳥一色であった.また共同繁殖や社会性についてのセッションも鳥類が登場した.しかし,それ以外では「鳥類学」的な発表はほとんどなかった.どうもIBSE(国際行動生態学会)が別にできたため,かなりの発表がそちらへ移ってしまったようである.そのせいか昆虫や魚類の繁殖についての発表も少なく,代わりに日本ではあり得ないほど目立っていたのは認知関係,それも鳥類(特にカラス科)の認知であった.なかでもあるセッションは「Feathered Apes? Complex cognition in corvids」と銘打ち,その後の発表ではある演者が「カラスじゃなくサル,Hairy Crowの研究で申し訳ないんですが」とジョークを飛ばすほどであった.どうやらカラス科を材料にした認知関係の研究が大流行しているようである.内容は記憶と「心の理論」,さらに道具使用の研究がほとんどであり,手法も霊長類で行われていた実験を鳥に転用しているのだが,その結果は大変に興味深かった.ということで,「カラス」というキーワードに引かれて予想外に多くの研究者が筆者のポスターを訪れてくれて,非常にラッキーだった.カラス類の野外での研究は意外に少なく,その点でも注目して頂けたようである.

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ズキンガラス(ウィーン市内にて)
 全体に物凄く目新しいテーマは無かったが(これは研究途中での発表が少ないせいもある),行動を個体レベルまで細分化して考える方向や,従来言われていたテーマをさらにブラッシュアップして細かく見ようとするアプローチが多いように感じた.また認知生態学の分野も1 セッションを取っており,個人的にはとても面白かった.

 総じて言えることは(不遜を承知で論評するが),どんなテーマであれ面白く見せてしまうイントロと,たとえ結果が思わしくなくとも強引なまでに一般化して結論づけるディスカッションに感心させられたことである.大風呂敷を広げたようなイントロと牽強付会なディスカッションとも言えるが,上手に見習う必要もあると感じた.まあ,タイトルとイントロに引かれて聞いてみると大失敗,という例もいくつかあったのだが.逆に,平均的な発表内容は決して「雲の上」のレベルではなく,国際学会だからと言って参加や発表を畏れる必要はないと感じた.

 余談であるが,もう一つ感心したのはレセプションやフェアウェルパーティの食事が枯渇することなく,最後まで食べられたことである.まあその分,参加費も随分と高くなっているのだが…….

 次回のIECは2007 年にカナダのハリファクスで開催される.鳥類の行動学的な側面に興味をお持ちの方は是非,参加をお勧めしたい.

IEC2005
http://www.behav.org/IEC/default.php
ISBE
http://web.unbc.ca/isbe/

日本鳥学会誌54巻2号より転載

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Field Tips


高伸長三脚

高木昌興(大阪市大大学院理学研究科)

 山階鳥類研究所標識研究室が使用しているかすみ網設置用の二本組のアルミのポールをご存知の方は多いかと思います。この長いポールを高所に作られた巣の撮影に使用できないかと、いろいろ試してみたところ簡便に使用できる手段を見つけました。アルミポールの太い方(大)の外径は30mmで、スリック社製三脚PRO700DX-AMTのエレベータがこの30mm径でした(他にもあるかもしれません)。この三脚のエレベータ(機材を取り付ける雲台を上下させるもの)には刻みがなく、何も細工することなしにこの三脚のエレベータ部分をアルミポールにそっくり差し替えることができます。これを使えば4.5mほどの高さまで伸長させることできます。三脚のエレベータに使ったアルミポールに、小径のアルミポールを挿入して使用すれば、さらに高所まで届かせることが可能です。現実的には2mの脚立を立てて作業できるおおよそ3.5mぐらいが限界です。

 この三脚はアルミ製で比較的軽く、持ち運びが楽な反面、ここで紹介する方法を用いると上部が重くなり、バランスが取り難くなります。三脚が倒れ、一番上に取り付けた機材が大破する危険に晒されます。そのため三脚を一杯に伸ばし、アルミポール大を最低でも1mほど差し込み、重心をなるべく下にすることがこつです。3本の脚の中心に石を置くことで三脚を安定させるストーンバックを併用しても良いかもしれません。

 なお、機材を取り付ける雲台は、コンパクトな小型三脚(例えば、スリック社製800GVI/500GVIなど)の雲台をエレベータごと抜き取ります。そのエレベータ部分を、太さを調整してアルミポールに差し込むか、結束バンドなどでくくりつける方法で十分対応可能です。大きな望遠レンズと違い、ハンディタイプのVCRは軽量です。このようにすれば高所の巣でも、簡単に素早くVCRを設置することが可能であり、育雛行動の撮影にはとても便利です。



イラスト:赤谷加奈(大阪市大大学院理学研究科)

受付日2006.1.26

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ダーウィン便り(3):オオニワシドリ

江口和洋(九大院理学研究院)

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オオニワシドリ(撮影:勝野陽子)
 オオニワシドリのオスは、あずまやと呼ばれる建造物を造ることで知られている。あずまやは小枝で作った1対の壁で、この壁に挟まれた通路にメスを引き入れて交尾する。そして、通路の両側の入り口付近の広い範囲に様々の物を敷き詰める。

 敷き詰める物は、カタツムリの殻、白い石、ワラビーの骨、灰色の石、透明なガラス、釘や針金、緑のガラス、緑の木の実、ワラビーの糞、木炭などである。何でもありのようで、そうではない。白、灰色、緑、黒の4系統だけである。白い物、緑の物、黒い物など、それぞれ種類によらず色ごとに同じ場所にかたまっている。

 なかでも多いのがカタツムリの殻。400個を越えるところもある。しかし、ここは乾燥地帯なので、カタツムリがそうあちこちにいるわけではない。見つけにくいものをたくさん並べることに意義があるのだろう。カタツムリの殻は貴重品だろうか?そう考えていた矢先に、建築中のあずまやに出会った。

 あるあずまやが、バッファローに踏まれて、つぶれされてしまった。修理するかと思っていたら、あっさりとあきらめて、10mほど離れた所に作り直し始め、1週間ほどかけて立派なあずまやを完成させた。このとき、飾り物の大部分は旧あずまやから運んできた。飾り物はやはり探すのが大変で、それほどに貴重なのだろう。

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あずま屋をチェックするオオニワシドリ
(撮影:永田尚志)
 しばらくして、また建築中のあずまやを見つけた。見つけたときはただの小枝の山だったので、あずまやの残骸だと思っていたところ、1週間ほど経つと、1対の壁に成長していた。しかし、壁は立派に完成したのに、いつまで立っても飾り物が置かれない。飾り物を探すのが大変なのだろうと考えて、よそのあずまやから20個ほどカタツムリの殻を失敬してきて、このあずまやから1mほど離れたところに積み上げた。予想通り、翌日には殻の山はきれいになくなり、あずまやの周りに並べられていた。やはり飾り物を集めるのは大変なんだなあと考えた。ところが、その翌日行ってみると、あずまやの周りにあったカタツムリの殻が2〜3個に減っている。不思議に思い、撮りためていたビデオを見てみた。

 ビデオにはオーナーのオスがあずまやを整備している場面が写っているが、そのうちに、あずまやへやってきた個体が、やおら、あずまやを崩し始めた。それはもう、あずまやに恨みでもあるのかと思うほどの荒々しさである。あずまや崩しや飾り物盗みは、オオニワシドリではまれであると報告されている。しかし、それはあずまやが互いに離れているからなのかもしれない。これまで見つけた10個以上のあずまや間の最短距離は700m以上である。これだけ離れていると、オーナーが他個体のあずまやを訪れることはほとんど無かろう。今あずまやを崩しているオスは近くにあずまやを持っているに違いない。

 そこで、次の実験に移る。カタツムリの殻20個に番号を書き込んで、先ほどのあずまやの近くに置き、同時に、半径300m以内を目途にあずまやを探し回った。翌日には、カタツムリの殻の大部分はどこかへ消えた。カタツムリの殻の補給を繰り返し、3〜4日探した結果、ついに200mほど離れた所に新しいあずまやを見つけた。そこには、盗品であることを証明する、番号の書かれたカタツムリの殻がたくさん置かれていた。

ディスプレイ行動から交尾まで。後頭部にあるピンク色の飾り羽を誇示しつつ、独特な鳴き声を発して雌にアプローチする。
(撮影:勝野陽子)
QuickTime file (3.4Mb; QuickTimeプラグインが必要です。)
 この盗人ニワシドリは、あずまやにあるカタツムリの殻を2個いっぺんにくわえては、自分のあずまやへと運んでいた。殻の直径は約4cm。手に、いや、口に余る。このオスの態度はでかい。横にいるオーナーを尻目に、カタツムリの殻を2個くわえて悠々と飛び去った。

 最後に、カタツムリの殻以外にはどのようなものを運び込むだろうと考えた。そこで、緑のシュロの実、白い石、緑、透明、茶、紺のガラス、それと赤茶色のプラスティック片などを、20個ずつ(木の実は10個)あずまやの近くに積み上げた。緑のガラスや木の実は人気があり、すべて盗人が持っていった。透明ガラスはやや人気薄だが、それでも大部分運ばれた。一方、白い石はそれほど人気無く、茶色と紺色のガラスと赤茶色のプラスチック片にはオーナーも盗人も手を(いや、口を)出さなかった。色に好みがありそうだが、なぜかは今のところわからない。

 飾り物として選ばれるのはどれも集めるのに時間と労力が必要なもののようである。手に入れるのが難しいものほど貴重とされるの、そこに盗人が出現するのも人間社会と同じ。盗む先があれば、失敬してくるのが楽なことは確かである。盗人のあずまやの家宅捜査を行ったところ、実にその3分の2以上を実験で使った飾り物が占めていた。このあずまやは少なくとも1年以上前にはできていたと思われる。とすると、実験を始めるまではかなりみすぼらしいあずまやだったことになる。それが、思わぬカモの出現で、御殿とも言えるあずまやができた。これだから盗人稼業はやめられない。



受付日2005.11.22


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 2006年最初の鳥学通信は、新会長中村浩志さんの巻頭挨拶、和文誌フォーラム記事からの転載、野外調査Tips、連載、と盛りだくさんでお届けしました。和文誌フォーラムからの転載は初めての試みです。広報委員会と和文誌編集委員会では、これを皮切りにいくつかの記事について、和文誌→鳥学通信だけでなく鳥学通信→和文誌の方向でも転載を進めようと考えております。

 今回の連載にありますオオニワシドリでは、現在ますます興味深い新奇な生態が判明しつつあります。僕も少しだけ野外調査をお手伝いしていますが、彼らの行動や生態は、あのアオアズマヤドリよりも面白いのではないかと感じるほどです。江口和洋さんと九州大大学院生の勝野陽子さんによって今後公表されるであろう論文や学会発表が楽しみです。(副編集長)



 鳥学通信は、皆様からの原稿投稿・企画をお待ちしております。鳥学会への意見、調査のおもしろグッズ、研究アイデア等、読みたい連載ネタ、なんでもよろしいですので会員のみなさまの原稿・意見をお待ちしています。
 原稿・意見の投稿は、編集長の永田宛(mailto: ornis_lettersexcite.co.jp ※スパム対策のため@が画像になっています。) までメールでお願いします。







鳥学通信 No.4 (2006年2月1日)
編集・電子出版:日本鳥学会広報委員会
永田尚志(編集長)・山口典之(副編集長)・
染谷さやか・高須夫悟・時田賢一・百瀬 浩・和田 岳
Copyright (C) 2005-06 Ornithological Society of Japan

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