日本鳥学会2017年度大会自由集会報告:標本史研究っておもしろい ―日本の鳥学を支えた人達

企画:小林さやか(山階鳥類研究所),加藤 克(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園・博物館)

演題1 趣旨説明
小林さやか
 日本の鳥類学に関わる方ならブラキストン線,オーストンヤマガラ,オリイコゲラといえば,ピンとくるであろう.これらはトーマス・ブラキストン,アラン・オーストン,折居彪二郎という人物たちの名から由来している.そして,今回の企画の主人公達である.彼らがどんな貢献をして,その名が付けられたのかご存じだろうか?
 日本産鳥類目録第7版から,彼らに関連する種を抜き出してみると,彼らが日本の鳥の命名に関わった偉業が垣間見える.そして,種の記載には標本が欠かせない.彼らが収集や採集した標本は山階鳥類研究所を始め,各地の博物館などに保管されている.
 近年,ブラキストン,オーストン,折居が採集や収集した標本の歴史研究の本や論文が出版された.本集会では,執筆者の方々にそれぞれの人物の標本の歴史研究について,お話いただいた.

演題2 標本が隠し持つ情報 ―ブラキストン標本を中心に―
加藤 克
 発表者は,日本国内で五指に入る鳥類標本コレクションを持つ博物館の標本管理者であるが,もともとは鎌倉時代の歴史を研究していた歴史学者である.発表者の観点からすると,生体としての鳥と異なり,鳥類標本は採集,標本化,採集者による研究,博物館における標本管理,のちの研究利用といった「歴史」を持っている歴史的存在である.そして,過去の分布や遺伝情報を求める現在の研究者にとってその「歴史」が重要な役割を担っているからこそ,標本は保存管理,活用される意義がある.
 しかしながら,その歴史を担保する標本ラベルの情報は破損・汚損や欠落などにより利用できなくなっている場合もあるし,現在必要としている情報が採集時点で重要とみなされていなかったために,その情報が記載されていない場合には,利用者にとって価値のない標本になってしまうだろう.しかし,歴史的存在である標本は,標本とそれに付属するラベルだけでなく,その標本に関わった人や博物館の歴史の中に存在してきたことから,周辺に残されている記録や情報を適切な考察・批判に基づいて利用することで,標本の情報を復元させることができる場合がある.これが「標本史」研究である.
 今回の発表では,トーマス・ブラキストン(Thomas W. Blakiston)のノートとラベル記載の管理番号を利用することで,詳細な採集情報が得られるだけでなく,ラベルが欠落した標本であっても情報を復元することが可能であることを紹介した.この復元された情報により,従来タイプ標本と認識されていた標本が記載以降に採集された標本であり,タイプ標本ではありえないと考えられること,同時に付属情報が不十分であったためにタイプ標本であると認識されていなかった標本をタイプ標本として指定しうる事例を示した.
 この他,従来北海道採集と公表されていた標本が旧樺太(サハリン)採集標本であったことが,標本史に基づく調査により示された事例を紹介するなど,標本そのものからは入手できない“正しい”情報を得るために標本史研究は有益であることを述べた.
 標本史の成果は,単に歴史学や鳥学史にとって重要なのではなく,生物学としての鳥類学においても,信頼できる情報,必要とする情報を得るために重要な役割を果たしうる研究分野であり,今後発展させてゆく必要がある.そしてそのためには標本だけでなく,研究者のノートなどの資料の保存に対する意識の向上とその保存を実現するためのアーカイブの重要性について触れた.

演題3 日本の動物を世界に広めた標本商 アラン・オーストン
川田伸一郎(国立科学博物館)
 明治から大正にかけて横浜に居住して貿易商を営んだアラン・オーストン(Alan Owston)は,多くの動物学者に日本周辺の動物標本を提供し,動物学の発展に貢献したことは有名である.特に鳥類や水産物に関してその寄与は著しいが,なぜモグラ研究者である発表者が興味を持ったかというと,その発端は,2004年10月に森林総合研究所(つくば市)のコレクションに含まれるモグラ標本を調査した時から始まる.
 森林総合研究所には「ハイナンモグラ」と同定された1点の仮剥製標本がある.この標本にはオリジナルと思える古いラベルが添付されており,採集場所・日付などの個体データが記されていた.標本は1906年11月に海南島の五指山で採集されたものである.「鳥ノ長サ」などの項目がラベルに印字されていたことも興味深く,鳥類用のラベルを転用したものだろうと思えた.この時は「面白い標本だな」と思ったに過ぎなかった.
 ところがその一か月後,標本調査のために英国へ渡航し,ロンドンの自然史博物館で標本調査を行ったことによって,このラベルへの関心が再燃した.ハイナンモグラのタイプ標本が保管されており,それに添付されているラベルが,森林総合研究所所蔵の上記ラベルと同じものだったのである.ハイナンモグラはオーストンが1906年頃送った標本をもとに,1910年に英国自然史博物館のトーマスが記載した種である.記載論文にはオーストンが現地で雇用した人物が個体を捕獲した,と書かれている.
 日英両国に保存されていたハイナンモグラのラベルについての探求は,『海南島の開発者 勝間田善作』という著作の発見により進展した.この本には,主人公の勝間田(旧姓石田)が,故郷の印野村でオーストンと出会い,地域の鳥類採集から始まって,琉球や海南島へと調査に行くよう依頼される様子が克明に描かれている.この本を足掛かりに,海南島の動物に関する多くの文献を収集し,また当時オーストンが英国の研究者と交流した書簡を調査したところ,この伝記に描かれた調査行はおよそ正確であり,勝間田がハイナンモグラの採集者であることは間違いないと思われた.ただし採集などが行われた年代は一部5 年ほどのずれが生じているようだった.
 オーストンは勝間田以外にも多くの採集人を日本で育成して,国内外で採集をさせている.しかしこれらの人物のうち,素性が判明している人物はほとんどない.中には英国で著名だった鳥類学者ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(Lionel Walter Rothschild)に提供され,記載が行われたような種もある.今後オーストン周辺の人物について更なる調査を継続したいと考えている.

演題4 日本の動物採集家~折居彪二郎
平岡 考(山階鳥類研究所)
 折居彪二郎は,鳥類学,哺乳類学が日本で確立してくる時期に大きな貢献をした採集人である.折居の採集人としてのキャリアについて,山階芳麿が『鳥』に書いた業績の紹介文(山階 1948)に従って3つの時代に分けられることを述べた.すなわち,横浜にいた標本商アラン・オーストンに依頼されて,採集人マルコム・アンダーソン(Malcom P. Anderson)と同行するなどして採集した時期,黒田長禮の依頼で,琉球列島で採集した時期,そして,山階芳麿の依頼で,東アジアから北西太平洋にかけて広く採集した時期である.
 発表の中心としては,「鳥獣採集家折居彪二郎採集日誌」に掲載した報告(平岡 2013)にもとづいて,折居の採集標本が山階鳥研の標本コレクションにどれだけあるかを,山階鳥研の標本データベースのラベル画像を見て数えた調査の結果を紹介した.この結果,556種8,845点の標本を特定することができた.東アジアから北西太平洋で幅広く採集していたこと,日本の主要四島での採集品がほとんどないこと,1920~30年代のものの点数が多いこと等がわかった.
 あわせて,日本の周辺諸地域から採集されていることで,日本産鳥類の理解のバックグラウンドとして重要といった,山階鳥研の折居の採集標本の特色について述べた.

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会場のようす

おわりに
 本企画はフィールドサイエンスではなく,鳥学会では異端であろう「標本史」がテーマであったため,参加者がいなかったら,と不安があったが,夕方の自由集会しかなかった初日にもかかわらず,20名を越える方々に参加していただいたことは,企画者としてとても励みになった.司会の采配が悪く,質疑の時間が少なくなってしまったが,アンケートでは「標本ラベルや手紙,筆跡から書いた人を特定して採集年を推定することは地味ですが大切で,興味がわいた」などのコメントをいただき,「標本史」の一端を感じ取っていただけたことは企画者冥利に尽きる.これに懲りず,切り口を考えて,標本史研究のおもしろさを伝えていけたらと考えている.(小林)

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