驚きの佐渡トキ復活 2018年鳥学会エキスカーション報告

 須川恒(龍谷大深草学舎・京都市在住)

21年前に佐渡を訪問
 私は山階芳麿・中西悟堂(監修)(1983)「トキ 黄昏に消えた飛翔の詩」教育社.という写真集を持っている。その本の帯には「もう見ることはできない ケージの中で飼育される3羽-彼らがふたたび大空を翔(かけ)る日はくるだろうか」とある。野外のトキをネットで捕獲する写真などが多数掲載されているが、どちらかというと、もうまもなく見られなくなるトキは、かつてこのように日本の空を飛んでいたと記念する写真集というニュアンスを感じた。
 21年前の1997年9月23-24日に新潟大であった日本鳥学会大会後のエキスカーションで佐渡を訪問した。9月22日のシンポジウムは猛禽類保護に関するものだった。この時は新潟大学の佐渡北部海岸にある新潟大学の演習林の施設に泊めていただいた(施設の前に海岸があった)。今回エキスカーションに参加した人の中で21年前に参加した人は北海道の玉田克巳さんと滋賀の天野一葉さんだけだった。
 この時はケージの中で飼われている最後のトキの「キン」(ゆっくりと歩いていた)を近辻宏帰さんに紹介していただいた(近辻さんはトキの飼育・増殖にずっとかかわっておられたがトキの初放鳥があった2008年の翌年2009年に66歳で亡くなられた)。また広く佐渡をまわり、かつてこういった地域にトキが住んでいたと紹介を受けた記憶がある。
 この時点で、後につながる中国との交流などははじまっていたが、雰囲気としては写真集で感じていたのとほとんど変わらない未来のみえないトキだった。当時、いつかキンも亡くなるが、その際に未来に向けキンの細胞をどう保存するかが話題となっていた。
 1997年の佐渡のエキスカーションの際に、一緒に行った成末雅恵さん・加藤七枝さん(当時日本野鳥の会)と全国的にも見えてきたカワウ問題を扱う自由集会を来年からやらないかと相談し、1998年から現在まで毎年開催されている会のきっかけとなったことが私にとっての一番の思い出だった。
 新潟にはガン類や湿地保全、鳥類標識調査の会合に参加する機会が多くよく訪問していたが、佐渡のトキプロジェクトのその後の進展については伝え聞くだけで、あれから一度も訪問していなかったので、今回のエキスカーションに参加して佐渡の現場を見るのが楽しみだった。

佐渡訪問の予習となった再導入シンポジウム
 2018年9月17日午前中は日本鳥学会新潟大会の公開シンポジウム『トキ放鳥から10年:再導入による希少鳥類の保全』が朱鷺メッセであった。
 私の前の席には、野鳥画家の谷口高司さん夫妻や羽箒研究者の下坂玉起さんら早稲田大学生物同好会につながる人々が座っていて、並んで座っている近辻宏帰さん夫人の道子さんを紹介いただいた。
 環境省佐渡自然保護官事務所の岡久雄二さんが「トキの野生復帰の取り組み」の講演で、野外個体群の絶滅、人工繁殖成功の過程、2008年の初放鳥(今年は10年目)、2012年から野生化でも成功し、延べ308羽を放鳥して、現在佐渡で野生下のトキが305羽となっていること、トキのための採食地として多様な水田農業の取り組み、地域社会の維持・活性化まで視野にいれた「佐渡モデル」について語った。
 新潟大学の永田尚志さんは「トキの再導入はどこまで達成したのか」の講演で、繁殖個体群が順調に増加している中味について語り、今後の見通しと課題について問題提起があった。いずれも、トキの最新情報についての予習となった。会場からの質問で、私がした質問は「今後佐渡から日本国内に分布を拡げていく勢いだが、海外へ分布を拡げていく可能性についてどう考えるか」であった。永田さんが「すぐにはないだろうが、国内分布が九州へと進むとその可能性は高くなる。」だった。
 トキ復活プロジェクト中国・日本における進展に加えて、韓国やロシアでも計画がある。特に放鳥が近いと聞く韓国における放鳥が始まると日本への渡来や日本の個体群との交流の可能性が高まり、トキのかつての分布域が復活するきざしもできると思った。
 私は日本鳥類標識協会のホームページ委員をしていて、ホームページの中にカラーマーキング調査をしている調査者からの情報を掲載しているポータルサイトをつくって各種のカラーマーキング情報を掲載して、必要な種には英語版も掲載していただいている。トキもそろそろ英語版情報の掲載も必要ではと思っての質問であった。

トキが「普通に」飛んでいる!
 シンポジウムが終わって朱鷺メッセから渡り廊下で佐渡へ行く佐渡汽船の待合室へ向かうとエキスカーションの参加者31名が集まっていた。ジェットフォイルに乗船して50分ほどで佐渡へ渡った。帰りはフェリーで2時間半ほどかかった。岡久さんによると、波が高いと、まずジェットフォイルが出港しなくなり、佐渡には確実に行って欲しいけれど、帰りに波が高くなって本土に戻れなくなるのも困るので、帰り便はフェリーにしたとのこまかい配慮をうかがった。
 ジェットフォイルの隣の席には豊岡市立コウノトリ文化館の栗山広子さんが座っていて望遠動画ができる準備をしていた。コウノトリの採食地や採食行動に関心があるので、トキにもついても同様に採食地と採食行動をしっかり見たいとのこと。
 両津港からチャーターしたバスに乗って宿泊施設であるトキ交流会館へ行った。右側に汽水湖の賀茂湖が広がり、左側の刈跡の水田に数羽のトキが採食しているのをすんなり見ることができた。事前に「トキのみかた」というパンフレットをいただいていた。小型の乗用車はとめて室内から観察することが可能だが、大型のバスをとめると驚くそうなので、わたしにとってトキの初観察だったが、あっという間に通りすぎた。
 トキ交流会館の宿泊する部屋で、畳縁(たたみべり)がトキのデザインであるのに感心した(写真1)。

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写真1 トキの畳縁

 周辺でトキ観察。ねぐらに入る前によくとまる枯木だそうだがその日はとまらなかった。宿舎から歩いてすぐ行ける温泉(新穂潟上温泉)の利用券をいただいたので、さっそくタオルを持って出かけた。
 温泉のすぐ南側には水田が拡がっていて、温泉の窓から飛んでいるトキが見えることもあるそうだ。湯上りで気持ちよい気分で、近くの山林につぎつぎと入っていくトキのねぐら入りを見ることができた。
 18:00夕食をするお迎えのバス2台で両津港の街へでかけた。18:15割烹ふじわら着。なかなかおいしく満足できる夕食だった。あとから持ってこられるお皿もなかなか楽しく、鯛の塩窯焼きが2尾。高木昌興さんら2人が塩を割ったものを頂いた。
 宿に戻って、トキ交流会館の2階の部屋で、永田さんにトキの羽を数タイプ見せていただいた。繁殖羽の黒くなったタイプなど手触りで確認させていただいた。天然記念物であるトキの羽毛を野外で拾って持つことは可能だが、他人に譲ってはいけないとのこと。
 9月18日5:10野生トキのねぐら立ちの観察(希望者だけだがほとんどの人が参加)。どのタイミングで起きてくるか(参加者のほう)で観察内容に大きな差ができた。新潟大の中津弘さんの予測通り5:20頃に「かぁー」と鳴いた後に数羽ずつ飛びだした。中津さんの無線機には別のねぐらで観察している人からの情報が次々と入ってくる。ねぐらに入っていた総計は30羽ほどだった。
 多くは南の水田刈跡に向かってとび、ほかの場所からやってきたトキも含め舞い降りるとほとんど見えなくなってしまった。わたしたちが観察している近くの上空を何羽も飛ぶ際がフォトハンターの腕の見せ所で、撮影できたカラーリングの画像を中津さんに見せて、何番の個体なのかを確認していた。
 朝食は、トキ牛乳とサンドイッチ。永田さんや中津さんらと食べた(写真2)。
 トキ牛乳は、最初は瓶だったらしいが、トキをデザインしたパッケージとなったところよく売れるようになったとのこと(あとでもう少し大きいパッケージを買って、箱を持って帰り、切り抜いて飾ってある)。

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写真2 永田さん中津さん

 今朝までトキを見て、トキが普通に見られるようになった驚きについて永田さんや中津さんに聞く。トキの採食地である多様な生物多様性を保つ水田環境の改善への努力が広く行われており、特にこの近辺は丁寧に行われている。
 中津さんが新潟大の調査チームに入った頃(2012年頃)に、ちょうど山階鳥研からJICA専門家として西安に滞在していた米田重玄さん、中国の環境政策への関心からパンダやトキ保護区をよく訪問している龍谷大学政策学部谷垣岳人さんらとスカイプを通して中国の洋県などの様子についてやりとりをしたことがある。谷垣さんによると洋県にはトキが京都の鴨川のコサギのように群れていると話していたことが印象に残っている。
 8:10宿舎を出発した。まずトキの森公園に向かった。ここはトキと2㎝まで近づけるという不思議な宣伝をしている。反射鏡の裏から観察をするしかけがある。実際にそのしかけでとても近くでトキの採食をみることができた(写真3)。
 大きなケージの中に巣台があり親2羽と幼鳥1羽が巣台の上にとまっていた。給餌者が入ってきて、地上の餌小屋に餌を置く。その後、観察舎の前の反射鏡の前の池にどじょうを入れる。幼鳥1羽が餌小屋に降りてきて採食し、すぐに観察者の前の池にやってきた。窓は二ヶ所あって、左側の窓からは少し池は離れているが、もう一つの右の窓からは池が接していて水中も見えるしかけになっている。左側の窓から見える小さな池にトキがやってきてドジョウをとる姿をみることができるも驚きだが、しばらくすると右側の窓前に行って、それこそかぶりつき(2㎝よりは離れていたが…)で採食するトキを観察することができた。

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写真3 かぶりつきトキ

 その後資料館に行った。途中の道にはキンの黄金のレリーフ像の石碑があり資料館の中にはキンの剝製や骨格標本があった。佐渡は2011年6月の世界農業遺産(GIAHS)に「トキと共生する佐渡の里山」として認定された。里山から佐渡中央部に広がる国中平野へ拡がる水田環境をトキの採食環境としてどのように改善していくかについての説明があった。
 資料館中には佐渡のトキ現在地マップがあって、マグネットでトキの個体の現在地を示していた。岡久さんはトキの位置を毎日チェックして全個体の位置が頭に入っているとのことで、マグネットを最新の位置に直していた(写真4)。

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写真4 岡久さんマグネット

 資料館の廊下では近辻道子さんが佐渡トキファンクラブへの加入の呼びかけをしていた。無料のメールマガジンがいただけるとのことなので申し込み、トキの風船などをいただいた。佐渡トキファンクラブは、トキ交流会館に事務所のある佐渡生きもの語り研究所が企画していて、トキの生息環境形成支援につながるさまざまな活動をしている。
 10:00野生復帰センターに向かった。ここでは10月の10周年放鳥式に向けて準備が行われているとのこと。そばにある環境省関東地方環境事務所佐渡自然保護官事務所で若松徹首席保護官によるトキを国として保護する経過、どの時期にどういったことを重点として保護施策をすすめてきたかの講演を聞いた。 
 環境省が国としてトキに取り組む選択をしたことが大きい(種の保存法の希少野生動植物としての対象種としてである)。国の保全戦略計画の対象種となったとしても、手掛かりが少ない状況からの出発だった。
 朝から早かったのできちんとした話は眠気をさそうものではあったが、国の保全戦略計画の対象種となっても、手掛かりが少ない状況からの出発だったことをあらためて理解した。放鳥まではトキの過去の分布から里山の谷津田のような環境を想定した保全計画だったが、2008年の放鳥以降は、トキが佐渡の平野の水田地帯を広く採食地として利用するために、水田をどう生物多様性豊かなものに変えていくか、またそのための農家を支援するシステム、さらに幅広くトキと共生できる社会へと模索していく計画が展開していることが判った。最後に、「いつまで続けるのか」といった各方面からのいろいろな発言を示したスライドも示して、今後の方向については、国民から幅広い理解を得ることが大切と訴えられた。
 そのためでもあるが、多くの来訪者にトキに影響をあたえずにトキの野生の姿をみてもらえる施設にむけての計画も聞いた。棚田のような場所を採食地として利用しているトキの群れを影響を受けない斜面の上から観察できる施設とのこと。
 最後の訪問地である国見荘は、この計画されている施設のイメージを知ることができる場でもあった。国見荘はかつて旅館だったが、現在は許可を得た観察グループのみ利用させてもらえる。広間から斜面下の池のほとりにいるトキの群れを見ることができて、みな満足であった(写真5)。もっと近くの棚田でも採食中の群れをみることができる時期もあるとのこと。
 国見荘は放浪の天才画家山下清の母親山下ふじさんの生家でもあってその関係の展示もあり、説明をしていた本多栄さんから、観察している広間は、明治時代にはじまった人形浄瑠璃の舞台でもあるということを聞き、幕を拡げて本多さんが操っている人形や、牛若丸の場面となる五条の橋の背景の風景を見せていただき、海外公演をした際の話もうかがった。

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写真5 国見荘からのトキ

 わたしたちが見せてもらった範囲は広い佐渡のほんの一区域だったが、佐渡のトキプロジェクトに関し鳥学的に最高のスタッフで短期間に現状を見せていただけた。一方で、トキの採食環境としての水田に関する取り組みや、それともつながる佐渡のさまざまな文化といった部分については改めて訪問しないと判らないと感じた。

再導入活動とは何か?
 私は豊岡のコウノトリについては本格的に再導入がはじまる前から定期的に訪問する機会もあって関心を持っていた。また千島列島へのシジュウカラガンの再導入プロジェクトは、京都の鴨川で越冬するユリカモメがらみで知ったカムチャツカの鳥学者ニコライ・ゲラシモフ氏がカムチャツカで増殖施設をつくって進めたため、深いかかわりができていた。鳥ではないが、現在鴨川では、大阪湾から淀川経由で遡上する海産アユが四条や三条を越えて下賀茂神社あたりでも釣ることができるようにする市民活動が、漁協や研究者、行政との連携で進んでいる。
 これらの諸活動は、再導入の規模、国のかかわりという点ではさまざまだが、共通するものがあるように思う。
 それは、豊岡で数年おきに開催されている「コウノトリ未来・国際会議」の2001年の会(コウノトリの初放鳥は2005年)における基調講演や海外ゲストの発言から得たイメージである。
 なぜトキやコウノトリ、シジュウカラガンは極東の地域からいなくなっていたのか、なぜ海から遡上していたアユは京都の街中まで登って来なくなっていたのか。
 地球環境や生物多様性は無視して、切り分けられた狭い分野の効率を最大化する技術の発展(農業生産、河川管理など)が原因であった。再導入をはかるということは、そのような20世紀型の文明のありかたをどうするかにかかわってくる。
 再導入をはじめるということは、小さな雪だるまを雪の斜面にころがしはじめるようなことである。雪だるまは、斜面を転がる間にどんどんと大きくなっていく。
 雪だるまが大きくなるのはトキやコウノトリ、シジュウカラガン、海産アユの生き物としての勢いのためであり、その分布の拡大や活動を通して幅広くさまざまな分野の人々のかかわりがはじまるためでもある。トキにかかわる活動もこれから10年、20年とどのように展開をしていくのか注目したい。

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