「尖閣諸島」。皆さん、この名前をニュースで一度は耳にしたことがあるでしょう。ここで繁殖するアホウドリが、実は鳥島で繁殖するアホウドリとは別種であるという論文を昨年11月に発表しました(論文はこちら)。
さらに、この内容について北海道大学と山階鳥類研究所から共同プレスリリースをおこない、これまでアホウドリの代名詞となってきた鳥島集団の和名を「アホウドリ」、尖閣諸島集団の和名を「センカクアホウドリ」とすることを提案しました(詳しくはこちら)。
実は、これらの鳥の学名はまだ決められていません。「なぜこのタイミングで和名を提案するのか?」と不思議に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。日本鳥学会広報委員の某氏からこの論文について鳥学通信への寄稿の打診をいただいたのも何かのご縁。ちょっとここで心の内を打ち明けてみようと思います。
左から「アホウドリ」メス、「アホウドリ」オス、「センカクアホウドリ」メス、「センカクアホウドリ」メス。
「アホウドリ」は「センカクアホウドリ」より全体的に体が大きい(撮影:今野美和)。
アホウドリは北太平洋最大の海鳥です。かつては日本近海の13か所以上の島々で数百万羽が繁殖していたと推定されています。19世紀末以降、各地の繁殖地で羽毛の採取を目的に狩猟されたため急激に減少し、1949年に一度は絶滅が宣言されました。しかし、1951年に再発見され、その後は特別天然記念物にも指定されるなど保全の対象となってきました。現在、個体数は6000羽を超えるほどにまで回復してきています。その主な繁殖地は1951年に再発見された伊豆諸島の鳥島と、1971年に個体が確認された尖閣諸島(南小島と北小島)の2か所です。
私たちはこれまでも鳥島と尖閣諸島のアホウドリが遺伝的・生態的な違いから別種である可能性を指摘してきました(詳しくはこちら)。しかし、尖閣諸島での調査が困難なために両地域の鳥の形態学的な比較ができず、別種かどうかの結論は保留となっていました。今回の論文では、尖閣諸島から鳥島への移住個体が最近増加していることに着目し、これらの鳥と鳥島生まれの個体との形態を比較しました。その結果、鳥島生まれの鳥は尖閣生まれの鳥よりほとんどの計測値で大きい一方、尖閣生まれの鳥のくちばしは相対的に長いことがわかりました。そして、これらの形態的な違いとこれまでに知られていた遺伝的・生態的な違いから、両地域のアホウドリは別種とするべきと結論付けました。
アホウドリのように絶滅のおそれがある鳥の種内において、このような隠蔽種(一見同じ種のようにみえるため、従来、生物学的に同じ種として扱われてきたが、実際には別種として分けられるべき生物のグループ)がみつかったのは、私たちが知る限り世界で初めてです。
上:「アホウドリ」オス、下:「センカクアホウドリ」オス。
「センカクアホウドリ」のくちばしは「アホウドリ」に比べて細長い(撮影:今野怜)
アホウドリの学名は Phoebastria albatrus です。鳥島と尖閣諸島のアホウドリを別種とする場合、どちらがこの学名を引き継ぐのかを決める必要があります。しかし、オホーツク海で採取された個体をタイプ標本として1769年に記載されたアホウドリでは、この作業が一筋縄ではいきませんでした。原記載の形態描写や計測は両種の識別には不十分でした。また、オホーツク海は両種が利用する海域であり、さらに肝心のタイプ標本がなくなってしまっている(!)ためです。
2019年度の鳥学会大会で発表したように私たちはネオタイプを立てることでこの問題をひとまず解決したつもりではいるのですが、もう片方の種の学名を決めるためには19世紀に提唱された3つの学名とそのもととなったタイプ標本を一つずつ検討していく必要があります。コロナ禍の影響もあって海外での調査が著しく制限されている昨今。海外の研究者と連絡を取り合ってはいるものの、その解決にはもうしばらく時間がかかりそうです。
翻ってアホウドリが置かれている現状を考えてみると、アホウドリは1種の特別天然記念物あるいはIUCNの危急種などとして国内外で保全の対象となってきました。この鳥が2種からなるとすれば、これまで考えられてきた以上に希少な鳥であることは明らかです。今後、それぞれの種の独自性を保つことを念頭に置いた保全政策の立案・実施が必要と考えられます。
尖閣諸島と鳥島の個体は別集団を形成しており、さらに集団間の遺伝的な差は他のアホウドリ科の姉妹種間より大きいことは私が博士論文をまとめた15年以上前からわかっていました。しかし、アホウドリを2つの「集団」としてその独自性を保つように保全する機運は高まることはありませんでした(ミトコンドリアDNA配列の重複の問題の直撃を受けて、論文発表に時間がかかったせいもあるのですが)。また、政治的問題から尖閣諸島での調査は2002年以降実施できておらず、同諸島におけるこの鳥の生息状況はよくわかっていません。
尖閣諸島から鳥島に移住する個体が近年増加していることは、尖閣諸島における繁殖環境が著しく悪化していることの表れの可能性も考えられます。両地域で繁殖する別「集団」ではなく、両地域で繁殖する別「種」を保全するための調査。その必要性を訴えることができるようになった今、この尖閣諸島の調査の重要性を明示し、調査の機運を高めるうえでも、当地のアホウドリの和名に「センカク」を冠するのは理にかなったものと考えられるのではないでしょうか。
「「アホウ」ドリという名前は差別的で気の毒ではないか?」という声のあることももちろん承知しています。しかし、「アホウドリ」や「センカクアホウドリ」をそれぞれの独自性を保って保全する道筋を立てることは、学名の問題が未解決である点や和名が適切とは言いにくい点があることを置いても、優先して進めるべき課題ではないかと私は考えています。学名や和名の問題は人間社会の問題であって、アホウドリには何の影響もないはずです。一方で、飼育環境下で隠蔽種が盛んに交雑してしまったチュウゴクオオサンショウウオの例で端的に示されたように(詳しくはこちら)、不適切な保全・管理は生物に多大なる影響を与える恐れがあります。
来年、10年ぶりに日本鳥類目録が改訂されます。日本鳥類目録は、唯一の日本の鳥類目録として、その分類は国内の公文書にも広く利用されてきました。同目録に「センカクアホウドリ」が掲載されれば尖閣諸島におけるアホウドリ調査にも弾みがつくことになるでしょう。「学名も和名も決まっていないけど隠蔽種がいる」というよりは、「学名は決まっていないけど和名は提案されている」というほうが議論の俎上にも載せてもらいやすいのではないか?という下心もあったことをここに白状しておきます。