第6回黒田賞をいただいて~私の垣間見た「考古鳥類学者」黒田長久博士~

2015年11月30日
北海道大学総合博物館
江田真毅

今回、このような名誉ある賞をいただき身に余る光栄です。ことあるごとに「考古学者」をアピールしていろいろなものから逃げてきた私がいただいて良い賞なのか?正直、今でも疑問に思っています。が、日本鳥学会の懐の深さに甘えさせてください。改めて関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。

「考古鳥類学」という言葉は今回の受賞講演にあたって作った造語です。遺跡から出土した鳥骨から鳥類の生態を復原できること、そして復原された生態は分類や保全の研究にも生かしうることを認識していただきたいとの想いからでした。今回、私がこの賞をいただけたのは「遺跡資料を用いた鳥類学」という目新しさに起因するところが大きいものと思います。

しかし、日本における「考古鳥類学」の歴史はそれほど新しいものではありません。実は、黒田賞にお名前が冠されている黒田長久博士は遺跡から出土した鳥骨を分析した論文を執筆されており[1]、日本海におけるアホウドリの分布などについて考察されています。さらに、この論文は日本の考古学にも大きな足跡を2つ残しています。受賞講演でも少し触れましたが、私は黒田博士が逝去された後に畏れ多くもこの2つの足跡を再検討させていただきました。そして、同じ資料を分析することを通じて、黒田博士を垣間見てきました。

足跡の1つは、日本最古のニワトリの骨を同定されたことです。ともに壱岐島に所在する弥生時代中期~後期(今から約2,000年前)の遺跡である原の辻遺跡と唐神遺跡。両遺跡から出土した鳥骨を分析されたのが黒田博士でした。博士はこれらの資料群中にアホウドリやウミウ、オオミズナギドリなどとともにニワトリの骨を見出し、報告していました。

ニワトリの初期の拡散史を研究する中で、私はキジ科の骨標本を多数調査して同定基準を作成し、実際に黒田博士が分析されたニワトリの骨も再検討しました[2]。結果は、哺乳類の肋骨が1点混入していたのを除けば、黒田博士の同定を支持するものでした。
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再検討した原の辻遺跡および唐神遺跡出土の鳥骨が包まれていた新聞紙

黒田博士が資料を分析された当時、国内の鳥類の比較骨標本は現在よりも著しく少なく、また遺跡からニワトリが出土した例はほとんどありませんでした。このような状況下で、キジ科のごく限られた標本と比較して種間の形態差を見出し、遺跡出土骨をニワトリと同定された黒田博士。その観察眼は目を見張るものがあります。今日では考古学界の定説となっている弥生時代におけるニワトリの日本への導入。その根拠となっているのは、紛れもなく黒田博士の同定したニワトリの骨なのです。

もう1つの足跡は「鵜を抱く女」の「鵜」の同定です。「鵜を抱く女」は山口県下関市豊北町(当時の豊浦郡神玉村)の弥生時代の墓地遺跡、土井ヶ浜遺跡から出土した1号人骨の別名です。この女性人骨が「鵜を抱く女」と呼ばれる由縁は、胸部から出土した鳥骨が黒田博士によってウミウの雛と同定されたことでした。女性人骨は「鵜」を伴って埋葬されたシャーマンとみなされてきました。2013年度末にこの遺跡の発掘調査報告書が刊行されることになったとき、この「鵜」の骨も再検討されることになりました。白羽の矢が立ったのは私でした。

結論から言えば、1号人骨に伴って出土した鳥骨が何の骨なのか、私には特定できませんでした[3]。ただし、ウ科の骨も幼鳥の骨も資料中に含まれてはいないことは分かりました。さらに、動物考古学的なアプローチから、黒田博士が前提とされていた人骨に伴って埋葬された1個体の鳥に由来するという点にも疑問が生じました。

1個体の鳥に由来するという前提と十分な比較標本がないという制約の中、著しく骨表面の風化が進んだ骨を分析された黒田博士。特徴の一致しない骨が資料中に含まれることや比較標本が足りないことなどが論考中に記されており、苦心の跡が読み取れます。その後、結果のみが一人歩きして定着していった女性人骨の「シャーマン」としての位置づけや「鵜を抱く女」という別称。黒田博士はどのようにご覧になっていたのでしょうか。私の知る限り、1959年の論文以外に黒田博士が手がけた考古資料の分析はありません。その意味するところは一人の「考古学者」として今一度考え直すべきことと思っています。

黒田博士が十分な比較標本がない中で考古資料を分析した論文を執筆されてから、すでに55年以上が経過しました。今日までの日本の各博物館における学芸員の皆様のご努力を否定する意図はまったくありませんが、残念ながら鳥類の骨標本のコレクションはアメリカやイギリス、ドイツといった国々のものに比べて非常に少ないこともまた事実です。縁あって、私は大学博物館に職を得ることができました。担当は考古学です(本当です!)が、スタッフの不足のおかげ(?)で脊椎動物のコレクションも管理できる立場にあります。今後、次代の考古鳥類学者が比較骨標本の不足に悩まされることのないよう、精力的に骨標本を収集していきたいと考えています。

・・・そして何の因果か、来年度の鳥学会は北大で開催されます。私は、例によって「考古学者」をアピールして逃げようと画策していたのですが、事ここに至っては逃げ切れそうにないと覚悟しています。黒田賞受賞をお祝いして下さった皆さんからいただいたインディ・ジョーンズ公認のカウボーイ・ハットを被って(!?)、大会運営をお手伝いしていきたいと考えています。
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お祝いとしていただいたカウボーイ・ハット(インディ・ジョーンズ公認)を樋口広芳先生に被せていただく筆者(三上修氏撮影)

来年9月、皆様の札幌へのお越しを心待ちにしています!!

[1] 黒田長久 1959 「壱岐島及び山口県から出土の鳥骨について」日本生物地理学会会報 21:67-74
[2] 江田真毅・井上貴央 2011 「非計測形質によるキジ科遺存体の同定基準作成と弥生時代のニワトリの再評価の試み」動物考古学28:23-33
[3] 江田真毅・井上貴央 2014 「土井ヶ浜遺跡1号人骨に伴う鳥骨の再検討について」『土井ヶ浜遺跡 第1次~第12次発掘調査報告書 第3分冊 特論・総括編』下関市教育委員会・土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム、pp137-146

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