日本鳥類目録は1922年の初版発行以来10年毎の改訂を目指してきた。第3版までは目標通り10年おきに改訂できたが、第4版以降は短い時でも12年、長い時には26年も改訂に年月を要した。最新の第7版は2012年に発行されたので、次の第8版は10年後の2022年、つまり今年の発行が目標であった。2018年に第8版編集のための目録編集委員会が組織され、今年の発行に向けて準備が進められてきた。第8版では新たな試みをいくつか取り入れたが、特に大きな試みとして次の2つを実施した。一つはパブリックコメント(以下、パブコメ)の実施、もう一つは海洋分布の追加である。不運なことに、この編集の後半の追い込み時期にコロナ禍に見舞われた。新たな試みが予想以上に時間を要したことにコロナ禍による作業の遅延が重なり、2022年中には発行ができなくなり、2023年9月まで発行を延期せざるを得なくなっている。会員はもちろん、出版関係者や行政など関係する諸機関にも多大なご迷惑をおかけすることをお詫びし、来年9月の発行をお約束したい。
パブコメの実施もあり、今回の目録の編集にあたっては多くの方々から意見が寄せられている。第一回のパブコメは、採用種・亜種とその学名と和名に関して2021年2月から4月まで行われた。第二回のパブコメは分布も含めて全体のことについておこなうが、11月の網走大会までにリストを提示して、来年1月末まで意見を募りたい。これまでにいただいた意見のうち比較的大きなこととの関りで説明を要すると思われることを以下にご説明したい。
1.日本鳥類目録とは?
鳥類目録(Checklist)とは、ある地域(または世界全体)の種・亜種の分類学的な包括的リストで、分布地やそのステータス(留鳥、越冬、通過、迷鳥など)が示されているが、通常、形態情報や写真、生態情報は示されていないものである。その日本地域版が日本鳥類目録であり、日本鳥学会が発行する日本鳥類目録は幸か不幸か現在では唯一の日本鳥類目録となっている。しかし歴史的には20世紀初頭まで複数の日本鳥類目録が存在した(森岡, 2012)。また世界の鳥類目録はIOC World Bird List、Howard and Moore Complete Checklist、Birds of the World, Cornell Laboratory、Clements Checklistなど多数ある。日本鳥類目録が現在1つしかないことで、日本の鳥類フィールドガイドや行政が日本鳥学会の目録に沿って鳥の種の分類や呼び名(和名や学名)を使うことが通例となっている。
しかしBrazil (2018) のように、IOC Listを基本にして著者の判断も加えながら独自の分類でフィールドガイドを作ることもできる。このような図鑑を良く思わない人もいるが、私はむしろ歓迎したい。鳥の正しい分類というものが自然界には存在していると私は考えているが、その正しい分類を人が完全に認識しつくせるとは思っていない。全ての目録は仮説であって、その時点での科学的知見から見て、最も妥当と思われる分類を編集者が組み立てて提唱しているのが目録ということになる。図鑑の編集者は分類を特定の目録に依拠して編集することもできるし、気に入った分類がどの目録にもないなら独自の分類をおこなって図鑑を編集することもできる。例えばオーストンヤマガラが日本鳥類目録では種ヤマガラの一亜種として扱われているのに、Brazil (2018)では独立種として扱われているというように、異なる分類が採用されることで、一般のバードウォッチャーもその種・亜種の分類が定まっていないことが理解できる。
日本鳥類目録は日本産種の選定を文献主義に基づいておこなっているが、「目録は分類も含めて文献主義を取るべき」と考える人もいる。ある分類を示唆する結果が論文で示されたなら無条件でそれを全ての目録が採用すべきで、もしそれに異論があるなら反論を学術誌に投稿すべきという。これは無理難題というもので、理想としてはあり得ると思うが現実的ではない。もしそれが現実的であるなら世界の鳥類目録が多数存在することはなく、どの目録も同じ内容になるだろう。しかし、目録第8版の出版後には、できるかぎり分類の根拠についても説明していきたい。
日本鳥学会の目録は、幸いにも現在では唯一の日本鳥類目録で、多くの図鑑や日本の行政がその分類を採用しており、その結果、鳥の分類や呼び名についての混乱は日本ではそれほど大きくないと思う。不幸な側面としては、利用者には選択の権利が用意されていないことであり、また上記のとおり、分類が定まっていない場合でも、それを知ることが少し難しい面があることだろう。
2.和名について
鳥の標準和名を定着させることについては、歴史的にも日本鳥類目録が大きな役割を果たしてきたといえる(森岡, 2012)。その点からも日本鳥類目録は鳥類和名について大きな責任を負っている。鳥類和名の規則や慣習については別稿に譲るが(西海, 2018)、和名について日本鳥類目録は慎重な検討をおこなってきたし、第8版の編集でもいくつかの大きな検討が行われている。目録第6版「はじめに」で詳しく説明されているように、主要な亜種の和名は種和名と一致させるという原則を日本鳥類目録は採用してきた。ただ、第8版ではそうすることで不都合が生じる場合には例外を躊躇なく設けることとした。ニシセグロカモメの亜種をホイグリンカモメとし、メグロの基亜種をムコジマメグロとすることがその例外に該当する。
オリイヤマガラやオガサワラカワラヒワなどこれまで亜種として扱われてきたものを種に格上げする場合には、オリイガラやオガサワラヒワと短い和名に変更することにした。このような和名の変更には、大きな危惧を表明される方も複数おられたが、短くする利点を優先させていただいた。ウチヤマセンニュウがかつてシマセンニュウの亜種とされていた時にはウチヤマシマセンニュウという亜種名で呼ばれていたが、種に格上げされた際に短い和名にしたことなど日本鳥類目録の伝統を継承したことになる。ただ、リュウキュウサンショウクイとホントウアカヒゲは同様に亜種から種に格上げされるが、適切な短縮ができず和名の変更はない。
逆に種サンショウクイは、リュウキュウサンショウクイが独立種となることで、単形種(亜種がない種)になるが、その和名を変えてほしいという要望があり、検討することになった。IOC Listの英名は、Ashy Minivetと元々呼ばれており、Ryukyu Minivetが独立種となった後も変わっていないが、このように種の枠組みが変わる場合、IOC Listでの英名はより適切と思われるものに変わることがある。例えば、メジロの英名はJapanese White-eyeだったが、中国南部の亜種simplexとhainanusが別種として独立し、フィリピンからインドネシアに分布するmontanusが加わることで、Warbling White-eyeという英名がIOC Listなどでは与えられている。対照的にこれまで日本鳥類目録は種の枠組みが変わることでは種和名を変えたことはないが、今回は例外的に狭義の種サンショウクイには新たな和名ウスサンショウクイを充てることが検討されている。
第8版への改訂に向けた検討の中で、最も大きな検討が行われたのは、アホウドリの和名についてだった。この和名を蔑称と感じ、不快感を表明し、和名の変更を求める意見を複数いただいた。この件は目録委員会だけでなく、評議員会でも討議された。生物和名の蔑称に関する自然史系関連学会での扱いを調査したところ、差別的用語を理由に動物標準和名を改称したのは、関連学会の中で魚類学会の2007年の改称のみだった。メクラウナギをヌタウナギに、バカジャコをリュウキュウキビナゴに改称するなどした(松浦, 2007)。その際の目的として「人権に対する配慮」と「言い換えや言い控えによる混乱を収めること」の2点が挙げられた。現在までのところ「言い換えや言い控えによる混乱」が生じていない動物名については差別的用語を含むものでも改称せず、和名の安定性をより重視するというのがこの問題の扱いの標準となっていると判断された。アホウドリの和名については今回の指摘で人権の観点から不快に感じる人が少なからずいることははっきりしたと思うが、この呼称による「混乱」の例は今のところ知られていない。もしも鳥学会がアホウドリの和名を「人権配慮」を理由に改称すると、関連学会への影響も懸念され、事前の説明と議論が不可欠となる。少なくとも第8版の改訂に間に合わせることはできないし、改称の方向で学会が動くことも少なくとも当面は難しいという判断となった。
3.まとめ
パブコメなどを通して諸方面からいただいたご意見は、当然ではあるが委員全員が理解するように努めた。どれも理解できる意見ばかりだったと私は感じている。しかし、「こちらを立てればあちらが立たず」ということが起きてどちらかを選択せざるを得ないことが多くあった。また現実と理想とのギャップや私個人も含む鳥学会の力量不足から第8版で取り入れられない意見も少なからずあったことは率直にお詫びしたい。ただ、労力を割いて意見を提出したことが無駄だったと無力感を感じる方がもしおられれば、それは違うと申し上げたい。すべての意見が少なからず当委員会や各委員の認識の向上に役立ったと思うし、今後の鳥類目録に多少なりとも影響していくことになるとご期待いただきたい。
今年は日本鳥類目録初版が出版されてからちょうど100周年にあたる。この記念の年に改訂第8版が出版できず、来年に延期になるのは誠に残念で、かつ申し訳なく思うが、パブコメの意見を検討できた(第2回についてはこれから検討できる)ことと海洋分布情報が追加できることはこれまでの日本鳥類目録にない大きな進歩であり、来年9月の出版に大いにご期待いただきたい。
引用文献
Brazil, M., 2018. Birds of Japan. Christopher Helm, London.
松浦啓一, 2007. 差別的語を含む標準和名の改名とお願い.
森岡弘之, 2012. 日本鳥類目録の変遷. 日本鳥学会誌, 61 (Special Issue): 74-78.
西海 功,2018. 鳥の和名.海洋と生物, 40(2): 139-141.