2023年度日本鳥学会内田奨学賞を受賞して(溝田浩美)
この度は、2023年度内田奨学賞をいただけたことを大変うれしく光栄に思います。長い年月を要してしまいましたが、多くの方々のお力をお借りし論文にできたことを心より感謝いたしております。鳥学の世界に導いてくださった江崎保男先生、研究をご指導いただいた大谷剛先生や布野隆之先生、鳥の学校でお世話になった濱尾章二先生、査読や選考に携わっていただいた皆様に、この場をお借りしお礼申し上げます。
アオバズクの調査は六甲山の北部で行いました。田畑が広がり、雑木林が残る自然豊かな地域です。2004年のことでした。同地域で動物病院を開業されている八百先生から、病院の裏にあるエノキの木に毎年アオバズクが来ていると聞き、その場所を見に行ったことが研究の始まりでした。アオバズクが止まるエノキの枝の下には餌となった昆虫の残骸が多数落ちており、この残し餌からどのような餌を食べているのかを調べることにしました。
翌年(2005年)の4月末にアオバズクの声が聞こえ、エノキの枝に止まるオスを確認した日から本格的に調査を始めました。はじめは、アオバズクの巣がどこにあるのかもわからず、日が落ち、上空をカラスの群れが塒に戻る姿を眺める日々が続きました。しかし、カラスが塒に入った後、アオバズクのオスが“ホウホウ”と鳴くと、どこからともなくメスが現れたので、私は納屋の陰に隠れ、息を殺しながらそっとアオバズクを観察しました。そして、八百先生の助言をもとに、樹洞ではなく民家の屋根裏の営巣地を見つけることができました。また、アオバズクの夜間観察から、ヒナへの給餌は両親で行い、甲虫や蛾などの頭胸部や翅などをむしり取って与えることも分かりました。
残し餌の回収は、ヒナたちが巣立ち、この地を離れるまでの約2か月間、保育関係の仕事の合間にほぼ毎日行いました。藪蚊襲撃の中、上から見下ろすアオバズクの視線を感じながら黙々と残し餌を集めたことは、今でも忘れられません。回収した残し餌は種類別に分け、頭や胸、翅をカウントし、捕食された昆虫類などの頭数を調べました。翅だけで同定をすることが難しい昆虫類は、顕微鏡で拡大し、種による違いを一つ一つ見つけていきました。
調査の結果は、「第1回 共生のひろば」で発表しました。「共生のひろば」はアマチュアの調査成果・活動内容の発表会であり、2004年以降、兵庫県立人と自然の博物館が毎年、2月11日に開催しています。博物館の研究員からの助言や他の参加者との交流はとても刺激になり、その中で新たな課題も見つかり、翌年の営巣環境での昆虫相の調査につながりました。
調査2年目は営巣地周辺の昆虫相を調べるため、ライトトラップを用いて明りに集まる昆虫類を捕えました。昆虫類の採集は、白い布を向かい合わせて立て、ブラックライトを吊るし、虫まみれになりながら行いました。大谷家と溝田家が家族ぐるみでおこない、子どもたちは手に網を持ち、夜の遠足のようで、とても楽しい思い出となりました。
捕えた昆虫類は、大谷先生に教わりながら、展足や展翅を行い、触角や足1本に至るまで形を整えていきました。乾燥させたのちラベルを付けるのですが、美しく整えられた昆虫はまるで芸術品でした。採集した昆虫類555個体を全て標本にした後、種名を調べました。作業をする中で大谷先生からお聞きする話は昆虫愛にあふれていて、昆虫に対する多くのことを学ばせていただきました。
これらの調査から、コウチュウ目を主な餌としているアオバズクが、雛の孵化直後には体の柔らかいチョウ目をわざわざ選んで与えていることがわかってきました。しかし、それを学術論文に取りまとめるとなると、自然の中に身を置き、昆虫や鳥たちに囲まれた調査とは違い、私にとってはとても大変なことでした。自分の力のなさを痛感し、あきらめかけた時、鳥の学校の「論文を書こう」に誘われ、何とか頑張ることができました。論文投稿後は、査読者の方々が丁寧に助言してくださるのですが、それに応えられず、直せば直すほど混乱した時期もありましたが、大谷先生、布野先生に助けていただきながら、修正することができました。布野先生は最後まで手直ししてくださり、原著論文を完成させてくださいました。その論文で賞までいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
今後は、アオバズクが捕食した餌昆虫のカロリーや栄養成分に着目し、研究を発展させていきたいと思っています。2021年と2022年にライトトラップを徹夜で行い、分析に必要な昆虫類のサンプルは十分に集まりました。これらの昆虫類の同定と分析はとても大変ですが、楽しみながらコツコツと進めていくつもりです。
あきらめずに続けてきたこと、一つ一つの地道な調査が楽しみだったこと、多くの人に支えられたこと、共に歩める素敵な人との出会いに恵まれたことが受賞へとつながったのかもしれません。投稿先がアマチュアに対し広く門戸を開いている日本鳥学会だったことも私にとっては幸運でした。
これからも、鳥の世界に恩返しするため、小さな子どもたちやお母さんたちを虫好き、鳥好きにすべく、日々奮闘していきたいと思います。